野々垣武志「恋するスポーツ」取材の思い出【前田勝宏 編】 100マイルを投げる、野球を愛したラオウ

取材記事,コラム

先日、YouTubeチャンネル「恋するスポーツ」のリモートオンライン対談取材で、約数20年ぶりに昔話に花を咲かせた前田勝宏と野々垣武志。前田勝宏の学生時代、プリンスホテル時代、西武ライオンズ時代からマイナーリーグでの生活まで、本編では語り尽くせなかった裏話も含めて、野々垣武志が振り返ります。

球界一のパワーの持ち主

 
約20年ぶりにアプリのZoomオンラインの画面を通して顔を見ながら話していくうちに、前田勝宏との当時の記憶が蘇ってきました。
当初は高校時代の話などを質問してあれを聞いてこれを聞いてと考えていましたが、話しているうちに当時に逆戻りしたかのような錯覚を覚え、予定してなかったことまで話していました。

前田との出会いは、僕が3年目のシーズン。で彼は前年のドラフト指名の会議で2位指名を受けで、名門プリンスホテルから入団してきたとき。若獅子寮で「前田です、よろしく」と挨拶されたことを覚えています。高校時代も面識がなかったのですが、同じ年で同じ関西出身ということもあり、意気投合してご飯を食べに行くようになりました。

キャンプでは西武ライオンズ恒例の朝の声出しがあるのですが、そのときに森監督やコーチ陣、選手の前で「一年目やから言うて甘えてんと、今年は西武球場の夜空にでっかい花火を打ち上げたいと思います!」と、関西弁で前田が声を張り上げました。当時は黄金期を迎えていたチームの雰囲気のなかで、よく言えたなと今でも鮮明に覚えています。

ある日、食事帰りに寮の食堂で他の選手がふざけて腕相撲をやっていて、前田が冗談半分で参加したことがありました。普段、選手同士はケガをしてはいけないので、お互いに勝負を避けるのですが、この日は野手同士で特別な盛り上がりを見せていました。
そのなかに後のスーパースターで後輩の松井稼頭央もいました。稼頭央が強いというので、前田との勝負となりましたが、圧倒的に前田が勝ちました。見ていた周りの選手はびっくりしていました。ただ、僕はそれほど驚かなかったです。というのも以前、僕は目の前で日本のアームレスリングチャンピオンの方にも勝つところを見ていたからです。ので、それほど驚かなかったのですが、そんな逸話があるほど、とにかく野球選手のなかではケタ外れのパワーの持ち主でした。

引退後に気付いた技術的な課題

話は飛んでしまいましたが、前田は投手としての素晴らしいポテンシャルを持っていて、中学時代には既に140キロのストレートを投げていたといいます。
神戸弘陵高校時代は夏の甲子園に3年生エースとして出場。3回戦まで勝ち進み、のちに西武ライオンズでチームメイトとなる尽誠学園の宮地克彦と投げ合って敗退。

西武ライオンズに入団後は、日本人で初めて100マイル(約161キロ)を出して話題になった投手。社会人野球時代から剛速球投手で、あれだけのボールを投げていたのに、なぜプロ野球では結果を出せなかったのかと聞いてみると、引退して分かったことがある、と分かりやすく答えてくれた。

技術的な話になるのですが、「投球する際に踏み出した足が着地したときに一瞬、膝を捕手方向に送る事で『打者を見て投げられる』ことが分かった。これが出来るとタイミングが合っている打者に対して、そのタイミングを外すことが可能になり、その逆も出来るので打たれる確率が低くなる」と教えてくれました。
「当時は我流でやっていてアドバイスを聞く耳を持たなかったので、もっと捕手の伊東(勤)さんやコーチともコミュニケーションを取っておけば、違った形になっていたと思う」ということでした。
それを知らずにまともに投げていたので、バットに当てられ三振を取れずに粘られて四球を出して、そこへストライクを取りにいって打たれる、という悪循環になってしまっていたということです。

メジャーリーグ挑戦が1年遅れた理由

 
前田は1996年に野茂英雄さんに続く日本人メジャーリーグ挑戦者としても話題になりました。前田の代理人は野茂さんと同じ方だったので、野茂さんと同じ1995年にメジャー移籍する予定だったという話も聞きました。

ある日、代理人の方から西武の寮に電話が掛かってきて、ニューヨーク・ヤンキースが契約に合意したという連絡が来たそうです。ただちょうどその日に西武ライオンズと2年目の契約を交わした後だったので、その年の移籍はあきらめて1年待ったという裏話をもしてくれました。これは初耳だったので驚きました。

その後、台湾、イタリア、中国などの海外リーグでプレーした前田。海外の野球と日本の野球の違いなども話してくれました。
追い込まれてからはボール球を振らないという日本人打者特有のクセや、三振はするが、当たればどこまで飛んでいくのだろうというぐらいパワーがあるマイナーリーグで出会った打者たち。また、マイナーリーグでは移動距離が長く体がきついこと。球場のある場所がすごく田舎なので飲食店が少なく、結局はマクドナルドなどで食事をで済ませるので、「ハンバーガーリーグ」と呼ばれていることなど……。

現役時代はよく前田と一緒に食事をしましたが、野球の話をした記憶がほとんどなくて、美味しいものを好きなだけ食べて飲んでという付き合いでした。今回話を聞いて、本当に野球が好きで真っ直ぐな男なんだなと改めて感じました。

文・野々垣武志(ののがき たけし)

1971年7月8日生まれ、奈良県桜井市出身。1989年にPL学園からドラフト外で西武ライオンズに入団。同期入団は、ドラフト1位の潮崎哲也、2位の鈴木哲、3位の大塚光二、4位の宮地克彦ら。主に内野手として6年間プレーし、1995年にトレードで広島東洋カープに移籍し、代打の切り札として活躍した。2001年からはダイエーホークスに2年間在籍。その後は台湾プロ野球の誠泰太陽に移籍し、14年間の現役生活に幕を下ろした。現在は野球指導者、YouTuberとして活躍している。

前田勝宏 プロフィール

1971年6月23日生まれ、兵庫県神戸市出身。神戸弘陵学園、プリンスホテルを経て、1992年にドラフト2位で西武ライオンズに入団。1995年のウィンターリーグで日本人最速の100マイル(161キロ)を記録し、1996年にメジャーリーグに挑戦。ヤンキースと契約したが、メジャーに昇格することはなかった。その後、中日ドラゴンズ、台湾、イタリア、独立リーグなどでプレーを続けた。

 
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