【独占取材】元西武ライオンズ・鈴木健が語るDHというポジション

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昨年、巨人の原監督がセ・リーグでの導入を提言し、賛否含め話題となったDH制。並みいる強打者が名を連ねる埼玉西武ライオンズのDHや、守備につかないDHというポジションの難しさについて、実際にDHを経験した元西武ライオンズの鈴木健に聞いてみた。
 
――ライオンズの歴代DHを振り返ってみるとどうですか?
やっぱデストラーデが印象に残っていますね。彼はキューバ出身で、母親が学校の先生で裕福だったんです。そのせいか頭が良くて、環境の違いに文句も言わず、練習熱心でした。試合をビデオに録って、自分のフォームや相手投手の配球などを試合後にチェックしていました。ヤクルト時代に同僚だった(アレックス)ラミレスもそうだったけど、大成する外国人ってみんな研究熱心なんですよ。

――1994年からDHとして出場していますが
実際にDHってポジションについてみると、守備につかない分、考える時間が多いわけで、次の打席に立つまでに良いことも悪いことも考え込んじゃうんですよ。打てているときは成績に表れているから何も考えないでいいとして、打てていないときは考えがまとまらないまま次の打席に入ってしまうこともあったり。これが守備につけば気持ちが一回リセットされるんですけどね。そういう意味ではDHは苦手でしたね。

――味方が守備についているときにやっていることは?
素振りしたり、身体を動かしたり、あとはモニターで試合経過を確認したりしてました。でも若手のころはベンチに出て声を出さないといけないから、ベンチ裏にいると先輩に怒られたりしました(笑)。

――DHの役割とは?
やっぱり打たないとね!打つためのポジションなので。

――DH鈴木健の後釜、垣内哲也について
ぼくの後にDHになった垣内(哲也)くんは、現役選手だと山川(穂高)くんタイプかな。確実性はないけど、当たれば飛ぶというバッティング。1996年の本塁打28本、打率.253という成績を見ても分かりますよね。余談ですけど、その1996年のオフに清原(和博)さんが巨人に移籍して、翌年のキャンプで垣内くんとぼくが東尾(修)監督に呼ばれたんですよ。そこで「今年は垣内が4番、お前が3番でいく」って言われました。ですがオープン戦から垣内くんの不振が続いたんです。そんな経緯もあって、1997年からぼくが4番になったんです。

――現在のライオンズのDH栗山巧について
栗(山巧)はもう守れないけど、バッティングはすばらしい。適材適所なんだと思います。辻監督も大砲の(エルネスト)メヒアをDHに置いて、打線に厚みを出したいはず。でも、つなぐ野球も大事だし、それが上手くいってるのが今のライオンズですよね。

――DHから正捕手になった森友哉について
2019年に一番成長した選手でしょ。広角にヒットが打てるようになったし、追い込まれてからも打てるようになっています。もともとローボールヒッターですが、身体が突っ込まなくなったから低めのボール球に手を出さないようになったし。森(友哉)くんのことは1年目から見ていますが、1年目から捕手で使えばよかったのにって思います。何のためにドラ1で獲ったんだって(笑)。

●プロフィール

 
鈴木健(すずき・けん)
1970年1月13日生まれ、埼玉県越谷市出身。浦和学院時代に当時の日本記録となる高校通算83本塁打を放つ。1987年のドラフト会議で1位指名を受けて、西武ライオンズに入団。90年代は秋山幸二、石毛宏典、清原和博ら、黄金期の主力選手が抜けていくなか、西武ライオンズの中軸打者として活躍した。通算19年で打率.278、1446安打、189本塁打、797打点。最高出塁率(1997年)、ベストナイン(1997年、2003年)。現在は野球解説者、評論家として活躍している。

出典/NPB.jp 日本野球機構
取材・文/日本電波制作社、栗林 勝(ウィルメディア編集部)

★埼玉西武ライオンズ歴代のホームラン打者について鈴木健が分析するパ・リーグSpecialの記事はこちら
※この記事はauテレビでも掲載されました。
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この記事を書いた人
栗林 勝/編集者/1970年東京都生まれ。
専修大学英文科を卒業後、20年ほどアダルト・サブカル系出版社で、雑誌・書籍・ウェブ編集を経験。広く、浅く、安く、をモットーにうす~く生きている。

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